――コーリーブーカーさん――
   スラム街から通勤する青年市長

朝まだ早いとき、一人の青年が朝のジョギングをしています。
たくましい青年で背が188センチもあり、見るからにスポーツ青年と言う感じです。
アフリカンアメリカン(黒人)であることはすぐ分かります。
ジョギングはスラム街の見るからにぼろな壊れかかった建物のアパートで終わります。
彼は建物の中にある自分の部屋に消えていきます。
ジョギングの汗を流すためにシャワーにかかろうとしましたが、お湯は出ません。
この建物の管理が悪くお湯は出ないのです。
青年はやかんに冷たい水を汲んで、ガスで温め、シャワールームにプラスチックの袋で出来た、キャンプ用の簡易シャワーをセットし、その中にお湯を入れて、シャワーにかかります。
お湯も出ないアパートなのです。

彼は簡単な朝ごはんを食べると、仕事に行きます。
どこに行くのか、ついて行くと、スラム街を出て、だんだんと町の中に入って行きます。
そのうち、大きな建物が出て来ました。市役所のようです。彼は市役所に用事でもあるのでしょうか。彼は建物の中に入って行きます。
その中の一番立派な部屋に入っていきます。市長さんの部屋です。市長さんと予約があるようです。  中をのぞいて見ると、市長さんはいません。
あれあれ、彼は市長さんの椅子に腰を下ろしています。
市長さんが来たらどうするつもりなのでしょう。ところが市長さんはなかなか来ないのです。
そのうち、市役所の誰かが、書類を抱えてやってきて、彼に向かって「市長、お話があります。」と言ったのです。
あれ、この青年がもしかして市長さんなのでしょうか。

 そうです、この青年はCory Booker コーリーブーカーさんと言ってニュージャージー州にあるニューワーク市の36歳の市長さんなのです。
2006年5月31日に市長に就任したばかりで、11月現在6ヶ月も経っていない、新米の市長さんです。
市長さんがスラム街に住んでいるとは変わった市長さんです。
もしかするとスラム街出身なのでしょうか。いいえ、彼の両親はNYにあるIBMの役員なのです。
すごい金持ちです。白人の住む地域に住んでいる数少ない黒人なのです。
するとこの青年市長さんはいったい何のためにスラム街に住んでいるのでしょうか。
彼は経済的に何一つ不自由しない豊かな家に生まれました。
アメリカの東海岸の高校で勉強したあと、アメリカ大陸5.000キロを横断して、西海岸のスタンフォード大学に入学したのです。
彼は政治社会学を専攻し、さらに社会学の修士を卒業したのです。
さらにイギリスのオクスフォード大学に留学し、アメリカに戻るとエール大学法律大学院で勉強し、卒業して、弁護士になり、法律事務所で働き始めました。
彼はアメリカで一流中の一流の弁護士になる未来があったのです。とくに彼はローズRhodes 奨学金でオクスフォードに留学したのですが、この奨学金をもらえる人は世界中で将来性のある有能な人々に限られていて、もらった人は後に「大物」になった人が非常に多いのが特徴です。
アメリカだけに限っていうと、クリントン前大統領(1968)、NATOの司令官を務めた Wesley Clark(1966), 昔なら天文学者のハッブル(1910)、ほか政治、法律の世界で活躍しているキラ星のような「大物」はアメリカはじめ世界にたくさんいます。コーリーブーカーも大物法律家になれるはずだったのです。
ところが彼は困った人をみると助けないではおれない性格なのです。
大学の時フットボールのスタープレーヤーだったのですが、片方で貧しい子供たちの面倒をみていたのです。
リーダーシップもあって、フットボールリーグの会長もしていました。
エール大学院に通っているとき、親のもとを離れて、ニュージャージーのニューワーク市にひとりで引っ越したのです。
住んだ所がこの市の一番荒廃した地域だったのです。彼は大学院に通うかたわら、貧しい人々の法律相談所を開いていたのです。
実はニューワーク市(27万人)はニューヨークの周辺の市であるために、アメリカの中でも有名な犯罪の多い町です。貧困、犯罪、ドラッグ、レープ、悪い事ならアメリカナンバーワンの町だったのです。
彼が引っ越してすぐ、ギャングが彼の前に現れました。
「新米さんよ、ここをどこだと思ってるんだ、お前さんの来るとこじゃねえよ、その打ちたたきのめしてやるからな」とすごまれたのです。コーリーは、「そんな怖いこと言わないで、友達になろうよ」といつの間にか友達にしてしまったのです。
彼はどんな人とも話し合えて、友達になれる才能があるようです。
オックスフォード大学留学のときも、ユダヤ人たちと友達になり、頼まれてユダヤ人の団体の会長をしていたくらいです。「ぼくはユダヤ人じゃない。黒人だ。ユダヤ人の団体の会長はおかしいよ」と断っても選ばれてしまうのです。
彼は地味ながら周りの人によく尽くすので、スラム街の人々が感激して、彼に市会議員になってもらおうと、頼み込んだのです。
彼は気が進まなかったのですが、周囲の貧しい人々のために、市会議員に立候補したのです。
相手の候補者から、車のガラスを割られたり、「殺すぞ」と脅かされたり、「町から出て行け」と言われたりしました。
彼はもともとそんなところで働かなくても、いくらでも条件の良い法律事務所で働けるのですが、周囲の人々のためにがんばってしまい、1998年に市会議員になりました。
ドラッグを取り締まる法律を厳しくして欲しいと、市会議員として市長に訴えましたが聞いてくれませんので、トレーラーハウスに泊り込んで、10日間のハンガーストライキを敢行して、法律を作ってもらいました。
コーリーは、頭がいいだけではなく、188センチの身体をはって戦う元フットボール選手の熱血漢です。
周りの人はぜひこの市の市長になってくれ、と頼んできました。コーリーは2002年の市長の選挙に立候補することにしました。相手は4期(16年)勤めた悪役の市長だったのです。
市の人々をことごとく掌握しているので、人脈を駆使して、あらゆる選挙妨害をしたのです。あまりひどいので、映画会社がコーリーと現職市長の戦いを「Street Fight」という映画にまとめたくらいです。
結果はコーリーの負けでした。彼は4年後に挑戦すると約束し、草の根運動を開始しました。
それから4年後、2006年の市長選挙で、20年在職した現職は立候補せず、コーリーは別の候補者を相手にして70%を獲得して5月31日にニューワーク市の市長の座に着いたのです。
前の市長は20年も市長を務めたせいもあるのでしょうが、アメリカの中でも高給取りの市長でしたが、コーリーは市の予算を考えて市長としては非常に低い給料に決めました。公用車も乗りません。住むところも以前と同じスラム街です。彼を知る人は「彼は困ったときは必ず助けに来てくれる。He goes anywhere in the world to help people」と評価します。
彼はドラッグ追放、ギャング追放をスローガンにしました。
彼の当選はギャングのピンチです。
ギャングは就任する前に、彼を暗殺しようと計画しましたが、事前にもれて、彼は警察官に囲まれて日々をおくりました。
ギャングも、彼は口だけじゃない、言ったことはやる奴だ、と恐れているのです。
そんなたくましい彼の悩みは、意外にも結婚です。
こんなにすばらしい経歴の人はアメリカ中探してもなかなかいないと思いますが、ものすごいスラム街に来てくれるような若いアメリカ人女性はいないようです。
こういうわけでニューワークの市長さんは今日もスラム街から通勤しています。
それにしても頭が抜群によくて、熱血漢で、人々のためなら6−3の身体を張って、10日間のハンガーストライキも辞さない市長さん、頼もしいですね。

10月にシカゴのオプラ女史のショーに登場しました。
堂々たる身体からオーラが立ち上っていました。私はとっさに、この人は将来アメリカの大統領になる人だ、と思ってしまいました。
実は、彼は、高校のときのニックネームは「大統領」だったそうですから、私の予想もそんなにはずれてはいないようです。
私ばかりか、彼の将来性に目をつけて、できるだけはやくアメリカ連邦政府の公職につくように勧める政治団体も現れています。
しかし、彼は10年間は自分を選んでくれた人たちのために今の市長を続ける、と公言していますから、しばらくは大統領の話はありません。大統領の話は、今の人気のあるオバマ議員(イリノリ州)にゆずりましょう。 アメリカにはこんな変わった人、個性的な人、情熱的な人があちこちにいます。
だからアメリカはおもしろい国で好きです。