――高校から大学への橋わたしのクラス―― 大学は同じ科目のクラスが昼間と夜にあり、学生が取りやすいうように編成さえているので、色々な学生がいます。大学生、大学院生の学生達に混ざって夜の日本語クラスに何人か高校生が出席して授業を取っています。 彼らから、ブリッジの終了式があるので行きますかと聞かれた。 毎年修了式の招待状が来ていたがほとんど出席をした事がない。 今年は高校を卒業する学生から先生が出席するならば、私も行きますと、彼女の母親に言われ初めて出席をしてみた。 私が2000年に始まったばかりのブリッジサマーコースで、シカゴ市内から来た高校生達に日本語を教えたのが、このプログラムとのお付き合いの始まりです。 今回は終了式とは何なのか、関心がありましたので主人も連れて出席しました。 夜の6時からということでしたが、6時から7時までは簡単な夕食で、7時から終了式でした。 こんなときの夕食ってどんなものが出るのか、関心のある方がおられるかもしれません。 チキンが主食でポテト、パン、サラダ、飲み物ぐらいです。アメリカでパーティーといっても食べ物は期待しないほうが安全です。 ブリッジというのは高校と大学の間に橋をかけるのを目的として作られた組織です。 日本では家族や親戚の中で始めて大学へ行った人というのは珍しいのですが、アメリカにはそういう人があちこちにいます。 いろいろな人種、人々が生きているので、全体として大学への進学が日本のように誰でも彼でも、というところまでいっていないのです。
ある地域、ある人々の間では大学進学の学生が少ないのです。シカゴ市内の高校生の大学進学率は50%と聞いて納得がいきました。 彼らを大学へ行くように目覚めさせるためにはどうしたらいいだろうか。 高校生のときから大学へ行かせて、大学を身近なものとすることが解決のひとつと考えたのです。 ブリッジは高校生の中から成績の良い、やる気のある高校生を選び、お金を出して、大学へ行かせることにしたのです。 この選抜に受かった高校生が高校の授業が終わった後、大学へ出かけて授業を取り、その単位は大学へ進学したとき、大学の単位として認めてもらう、という大学高校間の協定を作ったのです。 大変良いように聞こえますが、実際には、高校の授業が終わった後、また勉強するわけですから、勉強の嫌いな子供には向きません。 こういう地域の高校生は放課後アルバイトをしていることが多いので、アルバイトも犠牲にしなければなりません。 ブリッジの出すお金は大学の授業料を負担してくれるだけですから、家族にプラスにはなりません。 家族にも負担がかかるのです。 そんな犠牲を踏まえて高校生は大学へ来て日本語、中国語、英語、歴史などを履修するのです。 高校3年生から、ブリッジでコースが取れ、単位は大学からもらえるので、将来行く大学にそのまま利用でするのも、このプログラムの特徴で、すでに6コースの単位を取った高校生もいました。 この大学と高校の間に立っているのがブリッジで、その背後にあって大学の授業料の用意をしているのはCPSと呼ばれる、シカゴ公立校教育委員会です。
式が始まりました。名前を呼ばれた高校生は前に出て行って、大学の授業終了証明書をもらうのです。私のクラスの高校生も2名来ていました。 キャソリンさんは女子高生で、6月に高校を卒業して医学の勉強をするために、8月には東部の大学に行く予定です(アメリカの高校は4年制です)。 エドワード君も黒人で3年生の男子です。 お父さんは嬉しくニコニコしていました。 中には4年生でこの大学に進学が決まっており、その奨学金授与の発表もありました。 一種の表彰式ですから家族も一緒に来て、お父さん、お母さん、兄弟たちは明るい顔をして、家族の一員が大学へ向かっていることを誇りにしていることがわかります。 ブリッジの高校生は仲間の間では一種のエリートなのです。 しかし、片親が多いのもブリッジに関係している高校生の家族の特徴です。 一家が経済的に楽でなく、高校生もアルバイトで苦労しているのもわかるような人々です。 アメリカにはこういう人々がいることを忘れてはいけないのです。
大学と高校を結びつけて進学率をあげようという単純明快な考えですが、実行してしまうところが面白いところです。大学生の間に高校生が混じってくるわけで、違和感がありますが、それを乗り越えられるのはアメリカの国が、ひとりひとり、違う人間だ、という考え方に慣れているからではないかと思います。 高校生と大学生という違うタイプの人間が、ある時は同じクラスを取ることもあるのが人生だ、と考えることができるからではないでしょうか。 自分が教えた高校生に用意してきたプレゼントを渡して、帰途につきました。先生をしていると、個性のある学生や人々に会えて楽しいです。 |