生涯教育こんちには。
私の隣人―笛の名手 一噌(いっそう)幸弘先生―
室町時代とバッハを結ぶ音楽家

 娘の習っている笛の先生ということでインタビューを申し込んだら簡単にあってくれた。
笛といっても能楽で用いる笛のことなので、古風な人なのだろうな、と思っていた。
約束の場所に現れたのは古典派らしくハカマをつけた下駄履きの青年だった。さすが能楽の世界の人だ。
しかし、古風な衣装とちがって映画俳優といってもおかしくないようなすごい2枚目の青年だった。
えーこんな若い人が有名な東京芸大で笛を教える大先生なのか、伝統的な能楽の笛の達人なのか、一噌流15代の笛方なのか、とびっくり。
さらに驚いたのはなんと自分で車を運転してやってきたとのこと。
聞くと「ダイハツミラジーノ1000t」という素敵な車だ。
現代的な車と化石のような能楽とどう調和するのか、とまどってしまう。
彼は古典と現代を苦も無く往来する方だったのである。
平安時代の笛の名手の牛若丸は8艘の船をひらりと飛び越えたそうだが、現代の笛の名手は400年、500年を苦も無く飛び越える方だった。
これでは私のような凡人では、とてもついていけないので、後からウェブサイトでインタビューの会話を補充してこれを書くことにした。

 ユキヒロ先生は能楽の中の笛の担当者、笛方さんである。
私は能楽のことはほとんどわからないが、室町時代からはじまったらしい。
いろいろな変遷はあったのだろうが、舞台で舞うダンサーグループ、歌を歌うコーラスグループ、器楽のオーケストラグループの3つからなりたっている。
オーケストラといっても能楽は笛と3種の鼓(つづみ)だけである。
笛は能管(のうかん)と呼ばれ、長さ40センチくらいの7穴の竹製の横笛である。
(能管は「納棺」と同じ発音なのでときどき誤解されるときがある。納棺はお葬式のときに使われるもの。)
能管は横笛の一種であるが変わった横笛である。普通の横笛は牛若丸が吹く笛である。
西洋でも同じようなものが木でできていたが、だんだん進化して、金属になり、キーもくっ付いてしまった。これがフルートである。
それが横笛の進化の主流であり、能管は横笛が突然変異で出来た風変わりな笛である。
どうしてそんな突然変異がおこったのだろうか。
勝手に想像してみると、能楽の笛方さんにも変わった人がいて、なんとか幽玄な世界を演出したいと思って笛をいじって、笛のなかに別の竹のパイプをいれてみた。
後に能管の「のど」と呼ばれるものである。するときわめてかん高い、世にもフシギな音が出たのでこの音を「ヒシギ」と呼ぶことにした。
フシギな幽霊を呼び出すには便利であるが、困ったことは「のど」のおかげで、笛の管の共鳴モードは犠牲にされ、音階や音程をコントロールするのが非常にむずかしくなってしまった。
しかしそこはプロ。
「のど」の引き起こす困難を演奏者の才能と修行でコントロールして能楽をいっそう盛り立てるようにもっていってしまった。
「のど」つきの横笛は能楽のなかに能管という名前で指定席を占めてしまったのである。だいたい、日本人は何でもハードウエアを変えず、ソフトウエアを向上させて乗り越えてしまう。
なんでも「根性、根性、練習、練習」で人間を変えるのである。だから道具は発展しない。西洋人はその反対に不器用だからソフトウエアをはじめからあきらめ、ハードウエアを変えて勝負しようとするので楽器でも道具でも発達する。
能管の「のど」のおかげで、能管を吹くのは難しくなったから平凡な音楽の才能の庶民の手に届かないものとなった。
能管を吹くのは能楽の笛方さんの独占企業となった。これがほんとの「のど自慢」である。

能管が能楽の中で生きているだけならこれで十分であるが、他の楽器とアンサンブルをしようなどということになると、音程、音階が不安定なので非常にむずかしい。
その困難を乗り越える演奏者の才能と修行が要求される。
同時にそれは能楽の外との交流を意味している。
長いこと鎖国してきた能楽が西洋音楽と交流するなど抵抗を感ずる人もいるにきまっている。
日本の伝統的なものは相撲、柔道をはじめ最初は鎖国賛成、開国反対である。
能楽も例外ではないだろう。長い鎖国の壁をやぶり、開国するのは、才能があってパイオニア精神のある人だ。
そんな人がいるだろうか。このチャレンジにこたえたのがユキヒロ先生なのである。
ユキヒロ先生は2006年2月24日バッハ作曲「管弦楽組曲第2番」を東京フィルハーモニーと共演した。
室町時代の楽器でバッハを演奏したのであるから、「えーそんなのアリなの」、と驚いてしまう。
能管など使わないで、フルートでやったらいいじゃない、という人もいるかもしれないが、(室町時代の楽器+ユキヒロ先生)という合体ロボットではなく「合体楽器」で演奏した、というところがすばらしいのである。
そんな苦労しなくても、たかが笛、能管ではないか、という人もいるかもしれないが、そういうなら日本の誇る野球のイチロー選手のバットだってたかが木の棒ではないのか。
それをイチロー選手がコントロールすると一撃何万ドルもかせぐ棒に変わるのである。
室町時代の能管はイチローならぬユキヒロ先生の手(この場合は唇かな?)にコントロールされると現代のオーケストラと共演できる楽器に変身するのである。
いつだったかチェロのヨーヨーマーだって中国の大昔の楽器をひっぱり出してきて、弾いて見せたことがあった。
才能のある人は同じようなことができるのである。

 ユキヒロ先生は9歳で舞台に立った、というよりも笛方だから「舞台に座った」。
お父さんもそのお父さんも室町時代からの連綿と笛のDNAを引き継いできた一噌流という笛方御三家の一族なのである。
だからユキヒロ先生は子供のときから笛吹き童子だったのである。
ただしユキヒロ先生はただの笛方にとどまれるような人ではなかった。
どうしてかというと第1に、昔の笛方は、能楽と言う文化的鎖国システムのために外国の音楽など聞く機会が少なかった。
笛方は能楽の曲をやっておればよかったのであるが、現代はいろいろな音楽が巷に流れていていやでも影響をうける。
鎖国の好きな能楽の世界にも開国の波が押し寄せてきたのである。
能管にとって時代が変わってきたのである。
第2に、開国の呼び声に答える才能がユキヒロ先生には十分にあったのである。
高校のときギター、ドラム、キーボードなどと共演を始めた。
彼の才能は、能管という化石のような古い楽器に命を与え、現代の楽器と共演する力をもたせることができるのである。
バロック音楽にも手を出し、バッハ、テレマンも吹き、能管を生かす作曲も始めました。
全日本リコーダーコンクールで最優秀賞受賞。
第3に、現代音楽にかぶれて古典を忘れるような人ではなかった。
古典にとどまり、能管を深める努力もおこたらなかった。
その証拠に、能管の改良も始めたのです。低音の領域を担当する能管も発明しました。
能楽の前身の田楽能(でんがくのう)にも関心をもち、田楽の作曲をし、田楽笛を考案しました。  それにしても才能のある人がいるものだ、と感心することしきり。
 長く鎖国してきた能楽の世界に、ついに開国論者が現れたようなものである。
「ユキヒロ先生、がんばって」という黄色い声の声援も聞こえてくるようだ。
しかし、伝統的で、保守的な能楽の世界のこと、鎖国論者も攘夷論者たくさん残っているに違いないから、後ろからばっさりなどとならないように用心してもらいたいものである。
 最後に「ユキヒロ語録」と他からの評判を列挙しておきます。
1.「僕は一度聞けば能の曲は覚えてしまいます」
2.「自分独自の音楽がしたい、笛が主役になる音楽をしたいと思って作曲も始めました」
3.「古典を離れず、クラッシックもやるし、現代音楽もやる。そういう感覚です」
4.「古典の能管は楽器の可能性の10%も使っていないと思います」
5.「僕が音程を取得した技術を使えば、笛の存在感がもっと出て、能全体がもっと華やいだものになります」
6.「音程を広げるために「のど」のない能管も作りました。」
7.「リコーダーや角笛を加えて500本ほど笛をもっています」
8.「趣味は釣りと軍用ジープ。ジープのエンジン音が好きだ」。ジープ大好きは有名でどこにいくにもジープ、ジープ。
9.彼は、数百年来の古典と現代の音楽を軽々と取り込んでしまう強靭な演奏に、世界的な注目を集めている(アーテスト情報より)