生涯教育こんちには。 (写真:音楽一家の妹さんの家族と一緒に演奏しているところです。 日本のお母さんたちは、どうしたらそんな才能開発ができるのでしょうか、とすぐに質問したくなるのです。でも彼の場合は生い立ちを聞くとそんな不思議ではないのです。彼の両親は日本生まれ、日本育ちでしたが、渡米してから彼が生まれたのでドクターイシハラは2世ということになります。おじいさんは生物学専門で昭和天皇陛下にご進講をしたことがあるような学者さんです。息子さん、すなわち、ドクターイシハラのお父さんは物理学者であり、ピアニストの女性と結婚したのです。ですからはじめから数学と音楽のDNAうけつぐ運命にあったのです。おかあさんの家系も変わっていて姉妹が小説家の太宰治と結婚したのです。えー、そうするとドクターイシハラは太宰治の義理の甥にあたることになるのでしょうか。たぶんそうでしょう。義理の甥でよかったです。女性の敵みたいな、女性と自殺未遂を繰り返した有名小説家の血のつながった実の甥では女性から敵視されてしまうかもしれませんからね。 彼の両親は日本を出て、アメリカに来て得意の物理学を生かしたビジネスを始めたのです。ビジネスはうまくいって彼の家は豊かになりました。教育方針はちょっと変わっていて、日本語をいっさい使わず、英語だけで教育したのです。英語の名前もIshihara では他のイシハラと区別しなくちゃ、とか言って Isiharaとエスの部分の発音を変えてしまいました。その両親の指導のもとで、イシハラ少年は日本人2世の特徴でまじめに勉強したので、高校ではスーパーキッドになりました。将来はノーベル賞級(数学には該当しないかもしれませんが)の数学者になろうという野心に燃えて勉強したのです。その結果、Russell Crow主演の映画 「Beautiful Mind」 で一層有名になったアイビーリーグのあの大学に入学したのです。憧れの大学に入学できたのですから、希望に燃えて猛勉強をしたのです。Beautiful Mindの本人のノーベル賞受賞者のJohn Nashさんがこの大学に在学中に頭がおかしくなってしまった亡霊が残っていたのか、イシハラ青年もこの有名大学で元気がなくなってきたのです。 スーパーキッドだった少年イシハラでしたが、その大学では誰もかれもが高校時代はスーパーキッズだったのです。私たちはスーパーキッズにあこがれますが、スーパーキッズにはスーパーキッズの悩みがあるようです。スーパーキッズの間で第1スーパーキッズと第2、第3のスーパーキッズの差が出てくるらしいのです。 まじめなイシハラ青年は第1スーパーキッドになるために入学したのですが、これが大きな壁に見えてきたのです。つまずいたことのないスーパーキッド物語に傷がついてしまいました。心配したお父さんは傷ついたスーパーキッドを自宅に連れて帰ったのです。勉強から離れて郊外の自宅で静養したのです。自宅の前に大きなお屋敷がありました。Buffalo Bills というアメフトのチームの有名な選手の家だそうです。その名前はO.J .Simpson と言って、後に全米でその名を知らない人がいないくらいの有名人になった人物です。青年イシハラは元気を回復したので、別の大学に転校して、こんどはふたたびスーパーキッドになれてそこで気分良く勉強して数学の博士号をとりました。 これだけでは数学の学者さんで終わってしまいますが、音楽の方も並行して続いていたのです。バイオリンの方は3歳からはじめたそうです。兄弟がみな音楽の才能があって妹さんは鈴木音楽教室を経営しています。お兄さんは一番の音楽の才能の持ち主でしたが医者になってしまい、音楽から離れました。ドクターイシハラは数学を学びながらも、音楽にも情熱を傾けたのです。ときどきバイオリンと数学のどちらが自分の道なのか、と私たちからすると、ずいぶん贅沢な悩みを抱えていた時期もあるそうです。バイオリンに関しては自分と同じくらいの才能ある人が少なくない、でも数学を教える人は多くはない、と考えて、最終的には数学を生計をたてる職業に選んだのです。 でもいつも音楽から離れることはありません。Street musician をやっているといろいろな人が通りすがりに聞くわけですが、あるとき、「僕と一緒にやらないか」と、コンテンポラリーの音楽家が彼の才能に目をとめました。それまではクラシック音楽ばかりやっていましたが、この人と一緒に演奏をはじめることによって、演奏の幅がぐっと広がりました。クラシックからコンテンポラリーの音楽までこなすことができるようになりました。音楽の人は神経の細かい人が多いのですが、街頭で演奏していたらそんなことは言っておられません。なりふりかまわず演奏しなければなりません。泣く子がいても騒ぐ子がいても平気で演奏しなければなりません。おかげでナイーブなバイオリニストはタフはミュージシャンになったのです。 彼の音楽はさらにアフリカの音楽も含むのです。どうしてかというと、日本語を失ってしまった彼は日本文化、日本社会と縁が切れてしまい、アフリカと親しくなっていったのです。アフリカにも何回も行きました。アフリカの教会を建てるために応援をつづけました。 でも心のどこかでご先祖様の日本のDNAが騒ぐのです。昨年5月に日本の大学の客員教授になり、約1年間日本で過ごし、すっかり日本漬けになりました。日本語も少しは話せるようになりました。アメリカのつもりで、東京の街でバイオリンを弾きはじめたら、すぐに警察が来て注意され、警察に連れて行かれたそうです。その時彼は何語で話したのでしょうか。警察も「コレハ日本語ノワカラナイアメリカ人ダナ」と気がついたらしく、注意だけで(英語でかな?)すぐに保釈をしてくれたようです。これからはきっと日本の音楽も加わってミュージシャンとしてアメリカ、アフリカ、日本とますます多様化していくことでしょう。数学はきっと多様化などなくて、世界共通、ひとつなのでしょう。 シカゴダウンタウンの街頭や駅でどこかで拾ってきたような、ものすごく古びたバイオリンを弾いているアジア人ミュージシャンがいたら、もしかするとドクターイシハラかもしれません。とくにタイースの瞑想曲を弾いていたら、間違いなくその人です。そのときは25セントをお忘れなく。 |