| 生涯教育こんちには。 私の隣人――スー・ジェーンさん―― アメリカに歩道を造った韓国婦人 シカゴ市の西の方向80キロぐらいに
ホイートンという名前の町があり、Butterfield Road という車の行き来のはげしい道路が東西に走っています。
その横にサイドウオークと呼ばれる幅1メートル半の歩道が1キロメートルほど続いています。アメリカの田舎の当たり前の光景ですが、サイドウオークが道路から普通よりもずっと離れていることと、Butterfield Road の南側だけにあって北側にはないこと、Scottdale という小道から東へ1キロメートル先の高校の東側の通りまで続き、そこからは先はもうサイドウオークはありません。
なんだか高校に行くために造った道路としか思えません。実は私の感じは間違っていないのです。
このサイドウオークは高校生の母親の韓国婦人が学校と町役場に働きかけて、徒歩通学の高校生のために造ってもらった歩道なのです。私の隣人のスー・ジェーンさんは日本占領下の満州(中国)で育った韓国人女性です。彼女が住んでいた当時、満州では日本語と中国語で教育を行い、韓国語を話すと罰せられたのです。戦争が終わって、韓国にやってきたとき、彼女は韓国の言葉と文字が分からなくて、苦労したそうです。大人になってから、今度は、英語をどうしても習わなくてはいけない時が来たので、彼女は生涯ことばのコンプレックスもって生きてきたと言っています。(陰の声――中国語、韓国語、日本語、英語の4ヶ国語を相手にすればコンプレックス(複雑)なのは仕方がないですね。) 韓国で結婚して幼い子供二人(5歳と10歳)をつれてご主人とシカゴに移民したのです。1974年のことです。当時はアジア人はシカゴにはほとんどいませんでした。アジア人はアメリカでのサバイバルの方法は教育であると考える人が多く、中でも韓国家族のアイビーリーグを目指す教育フィーバーはすごいものがあります。ジェーンさんも例外ではなく、子供の教育に熱心でした。子供が小学校のときは「私の後から走れ」と号令し、高校生のときは「私といっしょに走れ」と声援を送り、大学生になると「私はあなたの後から走る」と言う教育哲学をもっていました。 子供たちも親の応援に答え、アイビーリーグをめざして勉強したのです。 期待の息子が高校に行くようになって気がついたことがありました。自宅から高校に徒歩通学するとき、途中Butterfield Roadを歩くのです。かなりの距離を車道と歩道の区別がないところを歩くのです。身体のそばを車が猛スピードで走りぬけるのですから人身事故がおきても何の不思議もありません。危ないなーと思っていると、やはり過去に事故があって高校生が犠牲となってのです。自分の息子が犠牲になったらどうしようとジェーンさんは心配したのです。
歩行者のために歩道が必要だ。息子だけのためでなく、交通量の多いこのButterfield Roadを徒歩通学するすべての高校生のために必要だ。現在だけの問題ではなく人口が増える将来はもっと必要になる。何とかしなければならない。
ジェーンさんは自分の考えを校長先生に話し、村役場にお願いに通ったのです。 英語に制限のあるアジア人が嘆願しても、アメリカのお役人はなかなか言うことを聞いてくれないことが多いのです。まだ韓国俳優のペ・ヨンさまは無名で彼の助けを借りるわけにはいきません。しかし、ジェーンさんはたった一人でたちあがったのです。彼女の熱心は校長,町役場を動かし、ついに徒歩通学の高校生のための歩行者専用道路を造ってもらったのです。韓国母の教育熱心の結実です。ジェーンさんはそれを息子の名前にちなんで(息子さんの名前がケン) 「Ken’s Road ケン通り」と呼んでいます。 徒歩通学の息子さんがどうなったでしょうか。期待にこたえてアイビーリーグへ進学、卒業され、現在アメリカ社会で活躍されています。妹さんも後に続きました。Ken’s Roadはアイビーリーグへ続いているのかもしれませんね。 |